そこから一山超えてまた川沿いを走ります。
静かな小さな川の両側は造成地のようで、これから開発していく場所なのかなと思いました。相変わらず海は見えません。
着いたところがかつてはその一帯の庁舎があったところ。周りの景色は津波が来る場所とも思えない、穏やかな山あいです。かつては沖へ出て行く船が多く係留していた川下の港町だったらしい。
以前からある庁舎のガリガリと傷ついている石碑と、新しく建てられた津波襲来の地というやけにキレイな石碑の対比に妙な違和感を覚えました。
今は仮設の店舗がいくつかあって、現地で手に入る海産加工物や女性たちが作る手工芸品を売っています。お店の人によると、お客さんはとても少ないとのこと。こういった復興応援バスが来てくれるおかげで、売上があってありがたいと。
確かに。バスは一日片道3便、往復で6便しかきません。
ここへ着く前と後にこれといった観光地があるわけでなく、工事車両が通り過ぎるだけの町。誰が立ち寄るというのでしょう。
元は漁船がいっぱいあったのに、津波が来て無事に残ったのは3艘だけ。その持ち主にどうして残ったのか聞いたら、「自分は漁師としては未熟で縛り方がしっかりできていなかった。そのため強力な波が来た時に、しっかり縛ってあった船はロープがちぎれて流されたが、自分の船は揺らめいて助かった」とのこと。それまでの経験が使えないような規模の津波だった事が分かる。
経済基盤を失った人々は、再びこの地で船を持つことに決断がつかないという。
途中で見た造成中の土地、そこに町民の家々があったと地元の人はいうが、その形跡はどこにも見えなかった。土以外何もなかった。単に山あいの土地を切り崩した後としか見えなかった。
町が消えたと思った。
コメント