4年半後の宮城⑤作り変わる町

海沿いで漁業の中心地である女川町に入ります。

先の雄勝町同様、壊滅的な被害を受けた地ですが、町に入るなり漁業関係の建物が多くあることが印象的でした。魚の加工工場、冷凍庫などです。

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工場に比べ、住居はあるのですが、山の中腹にあるぐらいでまだそれほど目立ちません。

盛り土優先なのです。

山には線が2つ引かれ、下はこれより下に家を作らない、すなわちここまで土を盛る。上はここから上の土をけずる(削った土が盛り土に使われる)を意味します。

ここで思ったこと。きれいな山の形が人の手によって変わるんだなということ。ふるさとの景色が記憶と変わってしまう。

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同じように、町のあり方が変わるかもしれないとお聞きしました。

町は住む家だけでなく、買物をする場所や医療などの生活に関わるサービスも必要です。

3.11前は海沿いの町の中にそれらがあったのが、今後は計画的に住居を高台に移す時に商店やサービスは低地におくことになる計画とのこと。それで本当に良いのか、懸念する人々もいます。

高齢者や足のない人は、そのような町づくりで住みやすいのか。

もう一つ、高校が無くなったそうです。

すると若い世代の家族は、どうしても子どものことを優先するので女川町に戻りにくい。

働く場所もこの辺りにはないので、両親は石巻に出かける、子どもも高校は石巻にある、そうなれば女川町に住むよりは・・・となって震災前の人口には達しない見込みだそうです。

すると、商店の売上が落ちて生活が出来ない、だから女川町で商売するところが減ってしまう、すると住みにくいから・・・と悪循環が起こります。

立派な駅もできて、たまにテレビでも映り順調に復興しているように見えますが、実際は不安要素はやはりあるのです。

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